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大阪地方裁判所 平成元年(ワ)7421号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、原告が被告に対して金四六九二万六五八八円を支払うのと引換えに、別紙物件目録記載(一)の各土地につき、神戸地方法務局尼崎支局昭和六一年一一月二二日受付第三八五六三号各所有権移転請求権仮登記に基づき、平成元年七月一九日代物弁済を原因とする各所有権移転登記手続をせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

理由

一  請求原因1(貸金債権)の(一)及び同3(仮登記担保契約)には争いがなく、同1の(二)は、《証拠略》により認められる。

二  抗弁1ないし3(本件代物弁済契約の無効、本件請求の公序良俗違反、権利濫用)について

イトマン社がいわゆる大手総合商社であり、八紘工業が各種製缶の製作据付等を業とする会社であること、八紘工業が神戸製鋼所の協力工場として、密接な繋がりを有していたこと、イトマン社が鉄鋼部門の強化を望んでいたこと、八紘工業が事業拡大に踏み切つたこと、八紘工業の赤字が増大していつたこと、イトマン社が昭和六一年五月ころに八紘工業の整理に入つたこと、八紘工業がそのころ全従業員を解雇したこと、被告以外の八紘工業の役員が辞任したこと、イトマン社が、同年八月一五日、小西道夫名義で、被告らから八紘工業の全株式を、一株一円で譲り受けたこと、同年一一月に八紘工業の役員が改選されたこと、被告が、昭和六一年七月三日、イトマン社との合意に基づき、新会社として(株)八紘を設立し、本件建物の一部を利用して、営業を行うこととしたこと、イトマン社が、平成元年一月二五日、八紘工業の右工場を、本件土地の地上権付きで、被告から譲り受けたこと、イトマン社が、右契約により本件建物の所有権を取得したとして、(株)八紘に対し、明渡断行の仮処分を申し立て、被告主張の和解が成立したことには争いがない。

右争いのない事実に、《証拠略》を総合すれば、次の事実が認められる。

1  事実経過

(一)  八紘工業の事業拡大の経緯について

(1) 被告は、昭和四二年一〇月九日、西宮市に各種製缶の製作と据付等を目的とする八紘工業を設立し、八紘工業は、浚渫巻管(いわゆるドレンジャー)やロール等の鉄鋼製品について、神戸製鋼所の協力工場の指定を受けて取引をしてきた。

(2) 昭和四四年ころ、八紘工業は、商社であるイトマン社と取引を開始することとなつたが、当初は、イトマン社との取引高は大きくはなかつた。イトマン社は、浚渫業者から注文を受けて、ドレンジャー等を神戸製鋼に発注していたが、昭和四五、六年ころに、神戸製鋼が排砂管の製造を中止するに至つたため、他の取引先を探す必要ができた。イトマン社は、商社間の受注情報の問題もあり、他の商社の系列に入つていなかつた八紘工業を、継続的取引相手として、取引を続けることとした。

(3) ところで、浚渫資材には、排砂管とフローターがあるが、八紘工業は、フローターについては全工程が自前でできたものの、排砂管については第三段階(パイプ製造)までの製造能力がなく、その段階まで神戸製鋼で完成させたものを仕入れて、第四段階以降の加工をしていた。そのため、イトマン社は、第三段階まで製造したものを他から仕入れて、八紘工業に売り、八紘工業がそれ以降の加工をするという手間がかかり、その分イトマン社が仕入れる排砂管の値段も、一貫生産に比べて割高になり、八紘工業にとつても、イトマン社にとつても、利幅が小さくなるという難点があつた。

そのような状況下の昭和四七、八年ころ、日本住宅公団による武庫川団地建設のための用地買収計画が持ち上がり、西宮市にある八紘工業の工場及びその敷地(約六五〇坪、敷地は被告所有)もその対象に含まれていたことから、イトマン社は、被告に対して、八紘工業の規模をこの機会に一貫生産設備まで拡大してはどうかと持ちかけた。被告は、取引銀行から、景気の先行き悪化見通しを指摘され、消極的な勧告をも受けたが、イトマン社が、拡張の必要性と受注の見通しを説明し、援助を約束したことから、八紘工業も、規模拡大を決意するに至つた。

(4) 工場移転の資金計画は、必要資金が合計四億五三七〇万円程度であるのに対し、用地買収による調達資金が三億五〇〇〇万円程度であり、差額の一億〇三七〇万円をイトマン社が融資する予定であつた。この必要資金は、予定額より増えたが、それを含めた不足資金については、一部は八紘工業が兵庫信用金庫(現兵庫銀行)及び尼崎浪速信用金庫から借り入れ、一部は、イトマン社が支払先に立替払いをして、その後七年間の分割で八紘工業から返済を受けるという方法が採られた(資金調達の点に関する証人井上と被告本人の供述は喰い違うが、不足資金についてイトマン社が介入取引の形態で中間に入るという井上証言は、《証拠略》の記載に照らしてたやすく否定し難く、また、不足資金は被告が金融機関から融資を受けた旨の被告本人供述も、本件土地に設定された抵当権の内容の記載からしてたやすく否定し難いのであつて、井上証言の趣旨に照らすと、両者が併用されたと認めるのが相当である。)。

また、工場の建築についても、敷地探しは双方で行い、最終的には被告が決定して資金を出し、建設会社決定に当たつては、入札方式を採用して、最終的に被告と協議のうえ決定した(この点について、被告本人は、すべてイトマン社が勝手に決定し、自分には事後承諾であつたと主張するが、当時被告が特に異議を述べた形跡もないうえに、設計内容などはイトマン社の決定しうる事柄ではなく、被告本人の右供述は採用できない。)。

(5) こうして、八紘工業は、昭和五一年二月ころに本件土地に移転し、営業を始めた。

(二)  移転後の資金繰りについて

(1) 八紘工業は、新工場での営業開始後の初年度は比較的順調であつたが、二年目あたりから、成績が落ち込み、資金繰りに難を来すようになつた。

イトマン社は、昭和五〇年六月二六日付けで、被告の自宅土地建物上に極度額二〇〇〇万円の根抵当権を得ていたが、昭和五二年六月二四日には、後順位の尼崎信用金庫の根抵当権と順位変更をして、被告に同金庫からの与信枠を供与したほか、本件土地上にも、昭和五二年一月六日に一億五〇〇〇万円の根抵当権を設定し、昭和五三年一月九日に極度額を二億円に増額し、昭和五四年一月九日に尼崎信用金庫の、同年一〇月四日、昭和五六年六月二四日及び昭和五七年九月二八日には兵庫相互銀行の各後順位根抵当権と順位を変更し、同日に極度額を三億円に増額し、昭和五九年三月二九日にも同銀行の後順位根抵当権と順位を変更し、同年四月二五日には極度額を五億円に増額するなど、逐次、八紘工業が金融機関から融資を受けやすくする援助を行つた。

(2) このほか、イトマン社は、八紘工業が資金繰りに難を来すと、昭和五四ないし五五年ころから、八紘工業の在庫を利用して、八紘工業からイトマン社に右在庫の売りを立て、それをイトマン社が別所鋼管、西谷商事、イトマン鋼板といつた関連会社に転売し、さらにそこから八紘工業が買い戻し、代金名義でその間約六か月の金融を得るという形の在庫金融を行い、在庫がないときは、架空の売上を建てて金融を行つた。この形態における口銭は、イトマン社及び関連会社がともに二、三パーセントであつた。また、イトマン社は、八紘工業に対し、株式会社ケミカルマンとの間で融通手形を発行する形で資金繰りをさせたりもした。

(3) また、被告の側でも、金融機関から融資を受けるほか、昭和五三年一二月には自宅を五〇〇〇万円で売却して、うち三七五〇万円を八紘工業の増資に充てた。なお、右売却代金中の一二五〇万円は、当時被告が義弟のために行つていた保証債務について、債権者から履行を請求され、本件土地を仮差押えされたこともあつて、その支払いに充てられた。

(三)  移転後の営業について

(1) イトマン社は、新工場移転計画の段階では、年間受注量三五〇〇トン、最低でもその六割である二一〇〇トンの受注を見込んでいたが、新工場移転直後辺りから、日本列島改造計画による開発ブームが鎮静化する一方で、石油ショックの影響もあり、鉄鋼業界全体の需要が低下し、イトマン社の受注量も予定を大きく下回るようになつた。イトマン社は、ドレンジャーの受注が減つたことから、少しでも新設備を稼働させようと、一般土木関係のパイプの受注に走るなどした。

(2) 当時、八紘工業は、イトマン社の下請専門工場ではなく、神戸製鋼、広築、神建工業の協力工場でもあり、独自の営業活動も行つていたが、営業成績は芳しくなく、イトマン社との間の在庫取引や架空取引等による負債が累積して行き、昭和六〇年六月ころには、八紘工業のイトマン社に対する負債は、帳簿上一四、五億円にも上つていた。

(四)  八紘工業の整理

(1) 被告は、前述のような在庫取引や架空取引による負債が膨らんでいつたことから、昭和五九年三月六日、イトマン社の塩田審査部長が八紘工業を訪問した際、右のような取引方法の是正を求め、融資の方法による支援を要請した。また、被告は、イトマン社の井上鉄鋼部長にも数度にわたり、取引の正常化を要請した。

これに応えて、イトマン社は、原田総合土木のポンプ船製作の下請けの仕事を八紘工業に回したが、井上が当初紹介したときよりも受注価格が低かつたこともあつて、八紘工業は、一八〇〇万円の赤字を出すことになつた。また、イトマン社の紹介により韓国のコスモインターナショナル社(以下「コスモ社」という。)から受注したSKパネルの製作では、製品の不備があり、コスモ社から前渡金の返還を請求された。

こうして、被告は、経営が好転しなかつたため、昭和六一年四月一四日、イトマン社の川畑本部長宛に、援助の不実行や架空取引など、新工場移転以来の経過について、被告の主張を直訴する内容の通知を行つた。これを受けて、イトマン社では、管理部が中心となつて、八紘工業の財務状態を調査した結果、五月中旬には、イトマン社から八紘工業に対し、八紘工業を閉鎖する方針を通知し、全従業員の解雇と被告を除く全役員の辞任の意向を示した。

右経過に基づき、八紘工業では、同年五月一〇日、従業員の解雇による退職金等支払い及び当面の決済資金のために、イトマン社から、二億五〇〇〇万円の融資を受け、そのころ、被告を除く全役員の辞任届が提出された。

(3) その後、八紘工業の整理について、イトマン社と被告との間で協議が重ねられた結果、両者間で、被告及び被告の弟である今中福一が新会社として(株)八紘を設立し、その設立資金二〇〇〇万円はイトマン社が負担したうえ、(株)八紘には、八紘工業の工場を一定期間無料で使用させる旨の合意が設立し、これに基づき、同年七月三日、(株)八紘が設立された。

そして、同年八月一五日付けで被告らから小西道夫(イトマン鋼板の代表取締役)に対して、八紘工業の株式を、一株一円で全株譲渡する旨の株式売買契約書が作成された。これは、実質的にはイトマン社が譲り受けるものであつて、小西は、イトマン社宛に、株式の権利義務はイトマン社に帰属する旨の念書を差し入れていた。

さらに、同年一一月四日には、臨時株主総会及び取締役会が開催され、被告が代表取締役を辞任し、代わつて小西が代表取締役となつた。

(4) このような一連の流れの最中である同年九月一日付けで、本件代物弁済予約契約が締結され、被告が代表取締役を辞任した後の一一月二二日に仮登記がなされた。

(五)  その後の経過

(1) 小西は、二年後の昭和六三年一一月三〇日限りで代表取締役を辞任し、同日、代わつて宇井野直が代表取締役に就任した。

そして、イトマン社は、平成元年一月二五日、八紘工業(代表者宇井野)との間で、本件建物を地上権付きで、合計七億五九五七万九九〇〇円にて買い受ける契約を締結し、一月二七日に所有権移転登記を了した。

(2) ところで、本件建物については、従前、八紘工業と(株)八紘との間で使用貸借契約が締結されていたが、既に昭和六二年七月二日で明渡期限が到来していたことから、イトマン社は、平成元年四月ころ、(株)八紘(代表者被告)を相手方として、明渡断行の仮処分を申し立てた。被告は、当初これを拒絶していたが、結局、同年八月七日の審尋期日において、(株)八紘は、八紘工業に対し、平成二年三月三一日限り本件建物を明け渡す旨の和解が成立した。

2  抗弁1(本件代物弁済契約の無効)について

(一)  独占禁止法違反の主張について

(1) 被告は、イトマン社の八紘工業に対する一連の行為が、一般指定一三項(拘束条件付取引)に該当すると主張するが、先に認定した事実(1(三)(2))によれば、八紘工業はイトマン社の完全下請企業であつたわけでもなく、イトマン社が、被告の営業活動を拘束したことを認めるに足りる証拠はない。

(2) また、被告は、イトマン社の八紘工業に対する一連の行為が、一般指定一四項二号ないし五号(優越的地位の濫用)に当たると主張する。

ア まず、二号違反(「継続して取引する相手方に対し、自己のために金銭、役務その他の経済上の利益を提供させること。」)として検討すべきは、イトマン社が被告に対し、政治資金の拠出を強要した点、また、イトマン社が使用する岸壁の使用料を八紘工業が支払わされた点についての被告の主張である。しかし、《証拠略》によると、イトマン社は、政治資金の帳簿上の処理を八紘工業に委ねただけで、金銭的負担は何ら課していないこと、前記岸壁は、八紘工業自身がフローターの組立場や納品待ちの商品の置場として使用していたことが認められるのであるから、被告の右主張は理由がなく、他に二号違反を窺わせる主張立証はない。

イ 次に、三号違反(「相手方に不利益となるように取引条件を設定し、又は変更すること。」)として検討すべきは、原田総合土木のポンプ船製作での受注価格が低額であつた点、韓国のコスモ社の下請けに入らされ、前渡金の返還を強要された点、在庫取引や架空取引や融通手形を強要された点、資金調達のために自宅の売却を強要された点についての被告の主張である。

しかし、原田総合土木のポンプ製作の件については、たしかに、八紘工業の受注価格が井上が当初想定したよりも低額になつたことが認められるが、《証拠略》によると、右価格は、原田総合土木の下請価格としては特に低額ではないというのであり、また、他の証拠上も、原告が、右仕事が赤字になることがわかつていながら強いて受注させたとも認められないから、原告が、その優越的地位を利用して、八紘工業に対し、殊更に低額の受注を強要したとは言えない。なお、被告は、イトマン社はこの件で多額の利益を受けていると主張し、《証拠略》によると右事実も認められるが、右利益は、イトマン社が、完成船の売却について、原田総合土木とユーザーの間を仲介したことによる利益であると認められるのであつて、被告の損失とは関係がない。

また、韓国のコスモ社との取引の件にしても、イトマン社を挟まずに、単にコスモ社と直接の取引をさせられたというだけでは、八紘工業にとつて不利益となるように取引条件を設定されたことにはならないし、前渡金の返還を請求されたことにしても、イトマン社が請求したわけでもなく、単に被告側に立つてコスモ社と交渉してくれなかつたというに過ぎず、三号違反とは言えない。

さらに、在庫取引や架空取引や融通手形について検討するに、たしかに本件では、先に認定したように(1(二)(2))、原告及び原告関連会社の口銭はともに六か月間で二、三パーセントであり、両者を合わせた年間金利は八ないし一二パーセントに及ぶことになる。しかし、消費貸借の方法による融資の場合でも、そのときどきの実勢に応じた相当額の金利を徴収するのが通常であることからすれば、原告及び原告関連会社が受けた口銭相当額の利益は、必ずしも不当に高額であるとは言えない。もつとも、八紘工業にとつては、消費貸借の形による融資の場合に比べて、代金支払名目で受け取つた手形の割引率の分だけ実質的金利負担が増し、これを合わせると、恒常的な営業資金の調達方法としてはかなり重い負担になつたと考えられる。そして、前記認定のように(1(一)(3))、資金援助の約束をして八紘工業を事業拡大に誘つた原告としては、道義上、このような過重な負担を伴う資金調達を八紘工業にさせるべきでなかつたとも言える。しかし、原告及び原告関連会社が、これによつて不当に高額な利益を得ているわけではなく、また、原告が必ず消費貸借の形態による融資をしなければならない法的義務までも負つていたと認められないので、本件在庫金融等が、八紘工業に不利益になるように取引条件を設定したとか、八紘工業に不当に不利益を与えるものであるとまでは言えない。

なお、被告が自宅を売却せざるを得なくなつた件については、被告は、八紘工業のオーナーであるのだから、資金繰りが苦しくなつた場合に自己の財産を処分して資金を捻出するのは当然であり、しかも、被告自身の保証債務の履行を債権者から請求され、自宅を仮差押えまでされていた状況下では、イトマン社の行為に不当性がないことは勿論である。

ウ 次に、四号違反(「前三号に該当する行為のほか、取引の条件又は実施について相手方に不利益を与えること。」)として検討すべきは、イトマン社が、八紘工業の経営権を掌中に収める目的で、資金面及び発注面の全面的援助を約束して、事業拡大に消極的な被告をして、八紘工業の事業拡大に踏み切らせたうえ、資金援助の約束を履行せず、かえつて在庫取引や架空取引や融通手形の発行を強要し、営業面での援助もせずに、八紘工業を窮地に追い込んだ点、イトマン社が八紘工業に粉飾決算を強要した点についての被告の主張である。

たしかに、《証拠略》によれば、イトマン社は、鉄鋼部門の利益拡大を意図して、八紘工業に事業拡大を勧めたことが認められるが、イトマン社が営利目的を有する商社である以上、その利益拡大に努力するのは当然のことである。被告は、イトマン社の意向に従つたがために、八紘工業の損失が拡大した反面、イトマン社は利益を得ていると主張するかのごとくであるが、イトマン社も、在庫金融等の変則的な形態ではあるが、多額の信用を八紘工業に供与しているうえに、先に認定したごとく、不当に大幅な利益を得たとも認められないのであつて、被告の主張は失当である。また、イトマン社が事業拡大時に約束した資金面及び営業面の援助をしないとの点については、在庫金融や融通手形の斡旋というのも一つの資金面の援助の形態であるし、また、根抵当権の順位を変更して、金融機関の融資を受けやすくするのも資金援助の一形態なのであつて、イトマン社が、資金面の援助約束を果たしていないとは言えない。さらに、イトマン社が優良な取引の受注をできなかつたとしても、先に述べたように、開発ブームの鎮静化や石油ショックといつた時代的事情もあるのであつて、八紘工業に不当な不利益を与えたものとは言えない。なるほど被告が、取引銀行から、事業拡大について消極的な勧告を受けたことからすると、被告は、八紘工業の事業拡大について積極的ではなかつたとも推認されるが、結局はイトマン社の説得に応じたのであり、しかも、右当時八紘工業がイトマン社の右説得に応じなければならない立場に立たされていたとの事情も存しないから、被告は、企業経営者としての自己の判断に基づいて、イトマン社の説得を受け入れ、規模拡大に踏み切つたと評価すべきである。また、粉飾決算の点については、証人井上の証言によると、同人が指摘したのは、在庫を資産に計上するか否かといつた技術的な点に過ぎない。

なお、被告は、昭和六一年五月以降、イトマン社が、被告に対し、手形を不渡りにして八紘工業を倒産させると脅迫して、その全従業員を解雇させ、八月には全株式を一株一円で譲渡させ、一一月には被告の知らぬ間に役員改選を行つたと主張する。しかし、全従業員を解雇するなどというのは、まさに八紘工業を閉鎖解体するに等しい行為であつて、被告の納得なくしてされた行為とは考えにくく、イトマン社から退職金用を含めて二億五〇〇〇万円の借り入れまでなされていることからするとなおさらである。また、弁論の全趣旨(被告平成二年四月一一日付け準備書面添付の平成元年六月三〇日時点での残高試算表)によると、八紘工業は、平成元年六月三〇日時点において一八億円を超える債務を負担しており、被告は、イトマン社との合意に基づいて、七月三日に(株)八紘を設立しているのであるから、八紘工業をイトマン社の整理下に委ねることについてはやむを得ない方策として納得していたと推認されるのであり、イトマン社の整理手続をもつて、優越的地位を濫用したものとも言えない。

エ 最後に五号違反(「取引の相手方である会社に対し、当該会社の役員…の選任についてあらかじめ自己の指示に従わせ、又は自己の承認を受けさせること。」)として検討すべきは、イトマン社が、昭和六一年一一月、被告の知らぬ間に役員改選を行つたとの主張であるが、当時被告が八紘工業をイトマン社の整理下に委ねることについて納得していたことは、先に認定したとおりであり、それに基づきイトマン社が八紘工業の全株式を取得したうえで役員改選を行つたものである以上、五号違反とは言えない。

オ 以上よりすれば、イトマン社の一連の行為に独占禁止法違反の点は認められず、それと一体をなす本件代物弁済予約契約も同法違反であるとの被告の主張は、理由がない。

(二)  公序良俗違反の主張について

本件代物弁済予約契約が独占禁止法に違反するものでないことは先に述べたとおりであり、先に検討したところからすれば、右契約が公序良俗に反するものとも言えない。

3  抗弁2(公序良俗違反)及び3(権利濫用)について

被告の主張する仮処分の点については、先に認定したように(1(五)(2))、(株)八紘と八紘工業の本件建物についての使用貸借契約は、昭和六二年七月二日を期限とされているのであるから、それを経過した平成元年四月に、右建物を譲り受けたイトマン社が、(株)八紘を相手方として、明渡断行の仮処分を申請しても、不当とは言えないのであつて、被告主張のように、本件請求が公序良俗違反であるとか、本件代物弁済予約契約に基づく予約完結権の行使や本件訴えの提起が権利濫用であるとかいうことはできない。

4  よつて、抗弁1ないし3はいずれも理由がない。

三  請求原因2(売買代金)について

1  別紙売掛金一覧表中21及び25については争いがない。

2  右一覧表の37番までについては、《証拠略》によつて認められる。

被告は、<1>八紘工業の仕入補助簿の記載について、日付欄が、一部を除いて請求書発行日と同一の日付が記載されていること、必ずしも日付順に記載されていないこと、品名欄が請求書どおりカタカナ書きとなつているものが多く見られることを指摘して、仕入補助簿が請求書を見ながら記載されたものであると指摘し、<2>各取引に対応する手形の振出がないことを指摘し、<3>別紙売掛金一覧表にかかる売買の目的物には、当時八紘工業が扱つていなかつた材料が含まれているほか、当時イトマン社から買い入れていた材料量は、極めて僅少なものであつたと指摘して、右売買を否認する。

しかし、前掲のイトマン社の請求書、八紘工業の総勘定元帳及び八紘工業がイトマン社に振り出した約束手形を点検して見ると、別紙帳簿等対照表のような関係にあるのであつて、その記載上格別不自然な点はない。また、先に認定したように、この時期には、八紘工業とイトマン社との間では、金融目的の在庫取引や架空取引がなされているのであつて、別紙売掛金一覧表にかかる売買の目的物中に、当時八紘工業が扱つていなかつた材料が含まれているとしても、何ら不自然ではなく、右のような在庫取引や架空取引だからといつて、八紘工業のイトマン社に対する代金名目での債務が発生しなくなるわけでもない。さらに、そもそも別紙売掛金一覧表にかかる売買の時期というのは、被告自身が、代表取締役として八紘工業の経営に当たつている時期であつて、その時期の八紘工業の帳簿の記載や振出手形の状況が別紙帳簿等対照表のようになつている以上、そこに記載された取引が、純粋の売買か金融目的のそれかはともかく、そのとおりなされたと認めるのが相当である。

3  別紙売掛金一覧表38ないし40の売買について

これらの取引は、甲第三号証(イトマン社の売掛金勘定元帳)では、昭和六一年五月取引分の一部として計上されており、同月取引分から同年七月取引分までの取引代金について、まとめて同年七月三〇日付けで、八紘工業からイトマン社に対し、計六通の約束手形が振り出されたとの記載がなされている。そして、《証拠略》によると、八紘工業が、イトマン社に対し、右甲第三号証の記載に沿う六通の約束手形を振り出していることが記載されている。

しかし、被告指摘のように、38番以降の取引については、八紘工業の仕入補助簿や総勘定元帳にまつたく記載がない。とりわけ、総勘定元帳の仕入材料欄を見ると、昭和六一年五月以降は、他社に対する仕入材料の記載があるのに、イトマン社に対する仕入材料の記載は全く記載されていないのであつて、それ以前の別紙帳簿等一覧表に記載したような帳簿の一致ぶりと比較すると、真に不自然である。もつとも、昭和六一年五月といえば、先に認定したように(一(四)(1))、イトマン社が八紘工業の整理に乗り出し、全従業員を解雇したころであり、それゆえの特殊事情があつたのかとも推察されるが、八紘工業自体は存続している以上、それまで正確になされていた商業帳簿の記載をにわかに止めるに至つたとは考えられない。また、甲第三号証では、イトマン社と八紘工業との間には昭和六一年五月以降も取引があつたとの記載になつているが、前記認定によると、八紘工業は、同年五月に全従業員を解雇し、六月には操業が停止していたと推認されるから、右甲第三号証の記載には疑問がある。なお、原告は、現に八紘工業から代金用支払手形が振り出されていることを指摘するが、右手形の振出時期は、既に八紘工業がイトマン社に整理下に置かれた時期のものであるから、必ずしも有力な裏付けにはならないというべきである。

以上の検討によれば、別紙売掛金一覧表38番以下の売買は、これを認めるに足りないと言わざるを得ない。

4  以上より、請求原因2(売買)は、別紙売掛金一覧表37番までの取引分についてのみ認められる。

四  抗弁4(弁済)及び5(相殺)について

1  先に認定したように(1(五)(1))、八紘工業とイトマン社は、平成元年一月二五日、本件建物及び地上権についての売買契約を締結したが、その契約書では、同日時点におけるイトマン社の八紘工業に対する債権が二二億六六〇二万九九五三円に上ることが確認されたうえ、イトマン社は、本件建物に設定されている担保権の権利者に対して、被担保債権残額五九五七万円を代位弁済し、それによる求償権と右建物及び地上権の売買代金を相殺すること、右相殺後の売買残代金七億九九〇〇円は、前掲残債権と対当額で相殺することが定められている。

被告は、右契約の時点におけるイトマン社の八紘工業に対する債権残高が二二億円余りも存することについて疑義を呈するが、先に認定したように(1(三)(2))、昭和六〇年六月ころのイトマン社の八紘工業に対する債権残高は帳簿上一四、五億円に上つていたのであるし(これが有効に成立したものであることは、三で検討したところから認められる。)、昭和六〇年八月一五日から昭和六一年五月三〇日の間に、八紘工業からイトマン社に対して振り出された約束手形の合計が、約六億五〇〇〇万円であり、しかも、これらは決済されていないと認められるから、《証拠略》による八紘工業のイトマン社に対する右期間中の支払手形の決済ペース(多くは一か月当たり二〇〇〇万円である。)を考慮したとしても、少なくとも一四億円程度の債権残高はあつたと認められる。

2  そして、本件建物及び地上権の残代金債権(合計七億九九〇〇円)と相殺されたのが、右残債権(少なくとも一四億円)中の本件貸金債権及び本件売買代金債権であると認めるに足りる証拠はなく、また、本件貸金債権が弁済されたことを認めるに足りる証拠もない。

よつて、抗弁4及び5はいずれも認められない。

五  請求原因4(実行通知)には争いがなく、これにこれまでの検討結果を合わせれば、請求原因5(所有権移転)が認められる。

また、請求原因6(被告名義)には争いがない。

六  抗弁6(同時履行の抗弁)について

1  本件土地の更地価格については、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第五号証及び乙第一九号証(いずれも不動産鑑定書)が提出されており、前者(以下「原告側鑑定」という。)では一二億二九七五万八〇〇〇円であり、後者(以下「被告側鑑定」という。)では一六億円とされている。これらの鑑定書は、地域要因の評価において若干の差があるけれども、ともに周辺土地の取引事例価格を中心に鑑定をしており、しかも参考にした取引事例のうち二例が共通になつている点で、鑑定手法には共通のものがあると言える。

しかし、本件での仮登記担保契約に関する法律三条一項の期間経過日(これが不動産評価の基準時である。)は、平成元年七月一九日であるところ、両鑑定書の鑑定の時点は、原告側鑑定が昭和六三年一二月一日であるのに対して、被告側鑑定は平成元年七月一日である。そして、参考とした取引事例も、被告鑑定の方が、右基準時に近いものが多い。しかも、両鑑定時点の間では不動産価格が急騰し続けたことは当裁判所に顕著であるから、両鑑定の鑑定手法が共通していることに照らせば、被告側鑑定を採用し、平成元年七月一九日時点での本件土地の更地価格は、一六億円であると認めるべきである。

2  ところで、本件では、平成元年一月二五日、本件土地上の本件建物が、地上権つきで、八紘工業からイトマン社に譲渡されている。被告は、この点を指摘して、本件のように、担保仮登記の実行後に仮登記担保権者に対抗できる用益権者が存しなくなる場合には、本件土地を更地として評価すべきであると主張する。しかし、《証拠略》によると、イトマン社が本件土地を仮登記担保の対象とした当時、既に本件土地は本件建物のための地上権の負担付きであり、イトマン社の仮登記担保は、右地上権に対抗できなかつたのであつて、だからこそイトマン社が、本件建物のための地上権を取得するについて、多大な対価を支払つたことを考えると、被告の主張は採用できない。したがつて、本件土地は、地上権負担のあるものとして評価すべきである。

本件での地上権割合については、原告側鑑定は五五パーセントとし、被告側鑑定は六〇パーセントとしている。このいずれが妥当であるかはにわかに決し難いが、乙第一九号証にあるように、工業地域における標準的な借地権割合である五〇パーセントを中心に、鉄骨・鉄筋コンクリート造建物所有を目的とした登記済の地上権である点を考慮し、地上権割合は六〇パーセントであると認めるのが相当である。

そうすると、本件土地の底地としての評価額は、六億四〇〇〇万円と算定される。

3  ところで、前記認定からすると、原告が、本件仮登記担保の被担保債権として主張する債権中、その成立が認められるのは、五億九三〇七万三四一二円のみであるから、これと本件土地の底地評価額との差額である四六九二万六五八八円の清算金が生じることとなる。

したがつて、被告が、右清算金と本件土地の移転登記との同時履行を求める限度において、抗弁6は理由がある。

六  そして、請求原因7(合併)に争いはない。よつて、原告の請求は、原告が被告に対して四六九二万六五八八円を支払うのと引換えに、本件土地の移転登記を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余の請求については、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用について民事訴訟法八九条及び九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下司正明 裁判官 西口 元 裁判官 高松宏之)

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